廣松山寳福寺
平安時代末期~鎌倉時代初期の武将・佐々木盛綱の末裔が僧侶となり、了証と号して諸国を行脚していた。
途中、大分県耶馬渓(今行村)にあった古刹(こさつ)・禅宗寳福寺に立ち寄り、真宗に改宗したのが始まりとされる。
天正11年(1583年)、黒田如水公より土地を賜り現在の地に草庵を結び、石山合戦の功績により顕如上人から六字名号が与えられる(現存)。
寛永元年(1624年)、今行村の寺号「寳福寺」をこの地に移す。(大洪水により本堂庫裡が流れ下って現在地に止まり、この地を有縁の地として一宇を建立したとの説もある)
その後、本末制度が制定されると、功績により本願寺直末に列せられ、山門に両小門の設置が許可された。
本堂は過去に三度の建直しを行っており、現在の本堂は明治14年(1881年)頃に建立された四回目の建物である。
境内で最古の建物である山門は、江戸中期以前のものと推定されている。両小門は滅多にないもので、寳福寺門徒が石山合戦の際に戦功をたてた功績により、特別に許されていると伝えられている。 なお、江戸末期の弘化4年(1847年)に再建された旧庫裡は老朽化が進み、いつ倒壊するやもしれぬ危険な状態であったため、平成13年(2001年)10月に全面改築された。
寺院情報
寺名(ふりがな) | 廣松山 寳福寺(こうしょうざん ほうふくじ) |
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住所 | 〒871-0802 福岡県築上郡吉富町大字小犬丸140 |
電話番号 | 0979-22-1745 |
地図 |