鎮西別院の沿革
ようこそ鎮西別院へ
鎮西別院創建の機が熟したのは、今から約100年前、明治時代後期のことでありました。本願寺第二十二代鏡如上人は、関門海峡が「九州と本州とを結ぶ要所であり、さらに大陸へと臨む日本の咽喉である」とのお考えから、「関門の地を浄土真宗の教勢発展の基地とする」とのご趣旨を示されました。宗門では、当時、九州全土と山口県を管下していた「第五教団」(大正三年二月に教団組織は廃止)の拠点が要望されていたこともあり、上人のご趣旨と教団の情勢が和合して、門司の地に別院建立の計画が立てられたのでした。
明治四十四(1911)年一月、ご本山よりご本尊が下附されると、第五教団事務所もこの地に開かれ、梅上尊融第五教団長が鎮西別院建設委員長に就任しました。さらに、大谷尊由執行長が本願寺営繕委員長として本計画に関与されたことは、この建設が宗門の一大事業であったことを示しています。
同じ年の十一月二十五日、ご巡教中であった鏡如上人ご臨場のもと、光明嗣法、大谷尊由執行長、藤枝択通執行、九条武子仏教婦人連合本部長をお迎えし、来賓六百名、四万人の参集者のもと、盛大に起工式が営まれました。その様子は「境内に本堂、能舞台、大食堂を仮建築し、緞子のまん幕を引きめぐらし、六金色仏旗に模造藤花をもって交飾し」とあり、「本願寺停留場のインド式総門より入れば、八間巾三百間の大道を経て、大里町寄附の大総門あり、特に硯海を臨める風光はえも云われぬ眺めなり」と伝えられています(ご本山の『教海一欄』より)。尚、当日は、赤松連城和上が伝道布教をつとめ、祝賀として、藤島了穏、松島善海両和上が漢詩を、赤松和上が和歌を献詠されました。
こうして、硯海(関門海峡)を望む戸ノ上山の麓に、一万三千余坪という広大な敷地を得て、方十三間の仮本堂が建設されました。同じ年の十一月二十五日、ご巡教中であった鏡如上人ご臨場のもと、光明嗣法、大谷尊由執行長、藤枝択通執行、九条武子仏教婦人連合本部長をお迎えし、来賓六百名、四万人の参集者のもと、盛大に起工式が営まれました。その様子は「境内に本堂、能舞台、大食堂を仮建築し、緞子のまん幕を引きめぐらし、六金色仏旗に模造藤花をもって交飾し」とあり、「本願寺停留場のインド式総門より入れば、八間巾三百間の大道を経て、大里町寄附の大総門あり、特に硯海を臨める風光はえも云われぬ眺めなり」と伝えられています(ご本山の『教海一欄』より)。尚、当日は、赤松連城和上が伝道布教をつとめ、祝賀として、藤島了穏、松島善海両和上が漢詩を、赤松和上が和歌を献詠されました。
この時、別院の設計を手がけたのは、鏡如上人と親交のあった伊東忠太博士(東京帝国大学教授で、築地別院の設計者でもある)で、ブッダガヤーのストゥーパ(聖塔)を参酌したインド様式を採用し、荘厳優美で崇高な仏威を表象するものであったそうです。
宗門の大事業としてはじまった鎮西別院の建設でしたが、その深刻な資金難から、工事は容易に進捗しなかったようです。
大正六年二月二十五日、開墾中の雑草木を焼却していた火が、仮建築であった別院に延焼、短時間のうちに二百三十七坪の建物を焼き尽くしました。その後、本堂再建の機運には至らず、わずかに災を免れた対面所を仮本堂として、現在の本堂再建(昭和四十二年)を待つことになりました。
本願寺第22代鏡如宗主(大谷光瑞様)
本願寺第22代鏡如宗主(大谷光瑞様)は、浄土真宗本願寺派本願寺明如宗主(第21代)の長男として明治9年に誕生した。
天資英邁にして気宇広大。28歳で22代の法灯を継ぎ、教団の国際化をはかるため、仏蹟探検(大谷探検隊)・海外伝道を手掛け、内にあっては、宗祖親鸞聖人650回大遠忌を厳修し、宗制刷新、人材育成と教団の拡大と法義宣布に尽力した。
辞任後は、アジア各地を歴訪し、各地に施設や庭園を構え、農園経営や人材養成、仏典研究(梵本翻訳)等、その業績は一宗門内にとどまらず、政界、経済界、産業界、教育界等々において多くの支持と称賛をあびた。
昭和23年、病気療養中の別府市鉄輪で示寂した。
(大谷記念館パンフレットより一部抜粋)
本願寺鎮西別院のあゆみ
明治40年 | 広島の小久保医師が5千余坪の地を寄進し、鏡如上人に鎮西別院建立を進言、 その他篤志家の寄進を受け1万3千坪の敷地を得て別院建立の発端となる |
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明治44年 | 本尊をお受けし、本堂、能舞台、大食堂を仮建築し起工式(光明嗣法、九条武子仏婦連合本部長隣席) |
大正6年 |
2期7年の工期完成間近かにして東隣の原野(桃山)より延焼。 僅かに免れた対面所を仮本堂とするが、以後復興の機運には至らず |
大正14年 | 鎮西高等女学校創立(現鎮西敬愛学園) |
昭和24年 | 鎮西保育園創立 |
昭和42年 | 鎮西別院再建(学園講堂併用) |
昭和51年 | 別院再建10周年法要 |
昭和53年 | 敬愛幼稚園創立 |
昭和56年 |
別院創建70周年記念法要 鏡如上人33回忌法要 |
平成5年 | 別院平成大修復慶讃法要 |
平成15年 | 敬愛小学校創立 |
平成23年 | 別院納骨堂 瑞光堂完成 |
平成24年 |
別院創建100周年記念法要 親鸞聖人750回大遠忌法要 |
令和4年 | 親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要 |
親鸞聖人像・鏡如上人像
高さ8mに及ばんとする親鸞聖人像は昭和54年6月即如門主伝灯奉告法要を記念して企救組法円寺門徒平野敏夫氏により建立される。
対峙する鏡如上人像は上人25回忌を機縁に昭和47年10月に建立された。その碑名は第23世勝如門主(大谷光照様)の御真筆である。